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今日も図書館から本を借りてきて読書。

最近お金を出して本を買うことが本当に減りました。


帯を見ると

第137回芥川賞、第50回群像新人文学賞、W受賞!

村上龍氏以来、30年ぶりの快挙!驚異の新人出現!

などと書いてあります。


「なんか過大な煽り文句だなぁ」、

「本を売りたいという思惑が透けて見えて嫌だなぁ」とか思いつつも、

「すごい賞を取ったんだから多分面白いだろう」と、

こうやって借りてきて読んでしまうんだから、まさに帯を書いた人の思う壺というやつですね。

本の内容

物語の内容は「私」が、行方不明になった「叔父」の日記と自身の記憶や伝聞から

叔父の人となりについて回想、検証するという感じですが、

そこに小説を書く筆者=「私」の視点が入り混じるという、一風変わった構成になってるのが特徴です。

すぐに慣れましたが、最初の1章はよく理解できずに混乱しましたね。

「ポンパ」や「タポンテュー」という謎の単語を呟く不可思議な人物であった叔父の人物像が、

読み進むうちに段々と見えてくる、というのが面白くて、一気に読んでしまいました。


今回はネタバレ有りの感想です。それでも構わない人だけ続きをどうぞ。

アサッテについて

「アサッテ」とは日常の外にあるねじれ。

日常にそぐわない異質なものとして作中に何度も出てきます。

それを体言する男として作中に「チューリップ男」というのが出てきます。


チューリップ男とはオフィスビルのエレベーターの中で誰もいない時を見計らい、

逆立ちをしたり、コサックダンスを踊ったりと奇怪な行動を取る男です。

彼は別に変質者というわけではなく、普段は日常をそつなくこなしているが

誰もいないエレベータの中では日常をかけ離れた自分「アサッテ男」になるのです。

彼の行動を覗き見た叔父は彼は自分と同じだと共感します。

この叔父の気持ちはものすごくわかりますね。


僕は子供の頃は周りの人から随分浮いていて、変な目で見られる事も多かったのですけど、

いつからか周りの人間を観察して「浮かない方法」というのを学習する事を覚え、

次第に周りに合わせて溶け込む術を身につけていきました。


でも「一度子供の頃に身についたもの」って、

「例え時間が経って大人になっても、完全には抜けない」んですよ。

周りに合わせつつも、時折自分の中にある「アサッテ」を出したくなる。


頭の中では「これを言ったら(やったら)マズイな」と思いつつも、

一旦そう意識すると心がうずうずします。

大抵は理性や常識がありますから抑えますけど、

昔の僕を知ってる人や、もう二度と会わないだろう一見さん相手には、たまにやっちゃいますね。

そんな自分に対して自己嫌悪に陥りつつも、素の自分を出せた開放感のようなものを感じる矛盾。

僕も叔父やチューリップ男のような「アサッテ男」なのですよ。

取り戻せないもの

P112に出てくる「吃音を失った叔父がもう一度「吃音的なもの」を求め始めたのではないか」

という筆者の仮定にも物凄く共感しました。

自分の中にある(あった)「アサッテ」。

経験や知識を積み重ねていくにつれて次第に失っていく「アサッテ」を求めるというのは、

考えようによっては過去の自分に対する郷愁であり、後ろ向きであるかもしれません。

でも、成長する、大人になるなど前を向くだけではどうしても疲れてしまいます。


愛する妻を事故で失い「アサッテ」を求めすぎた叔父は、

結局仕事を辞め、世間から逃れるようにして失踪してしまい、話の最後になっても行方不明のままです。


自分に都合のいい解釈かもしれませんが、僕は叔父は「休んでいる」だけだと思います。

辛いこと苦しいことから、時には逃げて休んでいいんじゃないかと思うんですよ。

そして時間が経って落ち着いたら、「叔父」はまた「私」の元にひょっこり現れる、そんな気がします。

アサッテの人アサッテの人
(2007/07/21)
諏訪 哲史

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